前日。

 4月24日。
 トライアスロン前日。
 借りたロードレーサーでバイクコースを軽く試走。
 普段ならなんてことない坂が壁のように感じられる。
 事故の影響からか、車道を走るのが怖い。
 呼吸が浅くなり、みるみる心拍数計の数値が上がっていく。
 自転車がパニック障害のトリガーになってしまったら……と考え、ますます怖くなる。
 1時間かけて20キロをのんびり走った後、大会のエントリー&競技説明会に参加し、夕飯食べて早めに就寝です。

許可。

 4月23日。
 島に整形外科の専門医がやってくる日だ。
 ただし診察は1日40名限定。
 事前に予約をとっていなければ、どんなにひどいケガをしていても絶対に診てくれないらしい。
 非人道的な気もするが、しかし医者だって人間だ。
 他人のために自分の生活を犠牲にする必要はない、と思います。
 早めに診察を受け、競技参加の可否判断と警察への書類提出を済ませたかった僕は、予約開始の朝8時きっかりに病院へと足を運び、無事8番目の診察権をゲットしました。
 診断の結果は「骨は折れてないけど肩の筋が切れてるよ。もうちょっと切れてたら手術だったね。場所的にギプスやテーピングは不可能だから痛みが治まるまで3週間ほど耐えてください。トライアスロンには参加しても大丈夫です」
 その後診断書を作成してもらい、その足で警察署に行って諸々手続を済ませる。
 事故相手が加入している損保会社から電話があり、物損の査定などは東京戻ってからゆっくりやりましょうよということでとりあえず話をまとめた。
 宿に返ってから、借りたロードレーサーの整備を開始。
 タイヤとチューブそしてチェーンを新しいものに交換し、ペダルを自分のものに付け替えてからポジションをチェックする。
 身長190センチの人が乗ってるヤツだから僕にはオーバーサイズ気味のフレームだけど、そんなことは気にしてられない。
 ただシフターの調子が絶望的に悪いのと、フロント53─39T、リア12─23Tでなおかつ9速というギア構成には頭を抱え込んでしまった。
 普段はコンパクトドライブだもの。
 まあ頑張るしかないんですけどね。
 ──続く。

重機。

 4月22日。
 右肩周辺の痛み、絶好調!
 たぶんだけど、折れてはいない気がする。
 外れてる可能性は否定しきれないけど。
 気持ちは沈む一方だが、トライアスロンに向けてやらなくてはならないことが山積みだ。
 専門医の診察を受けることはもちろん、レースで使う自転車も調達する必要がある。
 まずは石垣在住のチームメンバーに連絡を入れ、事情を説明する。
 するとチームメイトはまず島にあるすべての自転車屋を回り、レンタルできるロードレーサーがないか尋ねてくれた。
 が、どの自転車屋でもトライアスロン用の予約でロードはすべて出払っていると言われそうだ。
 だがマウンテンバイクなら用意できるらしい。
 最悪ペダルだけ付け替えればなんとかなるか。
 つぎにチームメイトは友人知人のツテをたどってロードを探してくれた。
「中学校の同級生に自転車有名人がいる。そいつのオヤジがたぶんロード持ってるから、借りられるかどうか電話して聞いてみたけど繋がんなかった。海外いってるのかも……」
「誰っすか、その自転車有名人って」
「新城幸也」
 それは例えるならシューマッハの父親にフェラーリ借してくれってお願いするみたいなものだ。
 仮にレンタルできたとしても恐れ多くて乗れません。
 その後もチームメイトはありとあらゆる所に電話をかけ、そしてようやく「知り合いの知り合いの知り合いがロード持ってるらしい」という情報をつかみ、所有者と交渉してレンタルの許可をとってくれた。
 トライアスロン参加へ、一歩前進だ。
 早速ロードレーサーを受け取るため、チームメイトが運転するワゴン車で待ち合わせ場所へ向かう。
 着いたのは、重機のリース会社。
 巨大なダンプやショベルカーなどが所狭しとならんでいる。
 ロードローラー渡されかねない雰囲気だ。
 僕が挙動不審気味にちょろちょろしてると、事務所から余裕で身長190センチ以上ある男性が出てきた。
 どうやら彼がロードレーサーのオーナーらしい。
 そして登場したのがかなりデカいフレームサイズのキャノンデール。
 2001年購入のフルアルミ車だそうだ。
 しばらく乗ってなかったからという言葉通り、タイヤはひび割れチェーンは錆び、シフター&ブレーキの調整もかなりアバウトな感じだった。
 ホイールもすげえ重たい。
 しかし何はともあれ、ロードレーサーが手に入ったことには違いない。
 気になるところは部品交換とできる限りのメンテで乗り切ればいい。
 あとは医者の診断を待つのみ!
 ──続く。