うぅ、身体中がいてえよぉ。
問答無用でバッキバキっすよ。
自転車もダメージ負ってそうだし。
新しいタイヤ届いたらがっつり掃除してあげよう。
日: 2010年8月26日
限界。
8月24日。
8時ちょうどにホテルを出発し、海岸沿いの国道8号線を走って「日本一のベニズワイガニ直売所」として名高いマリンドリーム能生に立ち寄り、お土産用のカニを購入して自宅まで配送。本当は芝生カニやりたかったけど、とりあえず今回は先を急ぐことに。
スタートしてから2時間かからず直江津駅に到着し、、そこから国道18号線を走行。
途中チューブレスタイヤのサイドカットパンクをヒッチハイクという荒技で乗り切って、長野駅前に着いたのが15時30分。
再び国道18号線に乗り、稲光のなかヒルクライムして22時に軽井沢到達。漆黒の闇と野猿に怯えながら、フロントライト1本と気まぐれに顔をのぞかせる月の明かりを頼りに碓氷峠をダウンヒル。高崎到着は日付変わって25日の1時20分ごろ。
高崎からは国道17号線。尋常じゃないトラックの数にビビりながら、眠気覚ましにメガシャキ飲んで渡辺美里さんの『My Revolution』を熱唱。サビの転調、小室さんの鉄板コード進行にしびれまくって大号泣。大粒の涙あふれまくり。たやすく泣いちゃだめなのに。
東京までラスト100キロを切ったところでコンビニ休憩。そこでトラックの運転手さんに「おう兄ちゃん! どこまでいくの?」って話しかけられた。
「東京まで帰るところッス」
「おっ、そうか! 俺はいまから川崎までいくんだけど、乗ってくか? 精密機械運べるようにエアサス付いてっからさ、自転車傷つかねえから。遠慮すんな!」
予想外の申し出にちょっとびっくりしつつ、「すいません、今日はもうちょっと走りたい気分なんで……」とお断りを入れたら運転手さんはガハハと笑って「元気だねぇ〜」と。
そのあとしばらく世間話。すげえ饒舌な人だった。一仕事で大体800〜900キロくらい走るって。九州絡む仕事だと2000キロ超え確定だそうだ。
「この道、夜はバンバン飛ばすトラック多いからよ、兄ちゃん気を付けてな!」
運転手さんはそう言い残して川崎方面へと走り去っていった。トラックを見送った後、僕も再び走り始める。
熊谷の手前で夜明けを迎えた後、交通量増えてきた国道17号線から荒川CRへとエスケープ。
……これが判断ミスでした。
まず何と言っても河川敷の道なだけあって補給が難しい。自販機やコンビニが皆無。ボトルの水すっからかん状態でしばらく走らざるを得なかった。加えて日陰ゼロなのもヤバい。キツい。24時間近く自転車こぎ続けてヘロヘロになってる身にとって朝イチの直射日光は核兵器レベルの殺傷力。
気温もうなぎ上り。だいたい熊谷って「夏の暑さがウリ!」みたいなとこあるじゃないっすか。一気にスタミナゲージ削られてふらっふらですよ。
とりあえず体勢を立て直さなくてはと、ケータイのナビ(こんなときにガーミンは信用ならん)に従って荒川CRを離脱し、最初のコンビニでがっつり補給……したんだけど、おかしな事に食べても食べても空腹感がなくならない。満腹信号が脳に送られない。頭痛するし力も出ない。
間違いなくハンガーノック。
コンビニの駐車場にへたり込み、栄養素が身体に取り込まれるのをジッと待つ。オートバイのエンジンがかからずにイラついてるにーちゃんと何度も目が合い妙に気まずかった。僕もエンジンかかんなくて困ってるっつーの。
30分以上休憩してから再スタート。が、もう身体がどうにもならないほどつらい。背に腹は代えられないと歩道をチンタラ走る。2年くらいメンテしてなさそうなママチャリに余裕で抜かれる始末。
それでもなんとか自宅までラスト28キロの地点まで到達したんだけど、補給のため立ち寄ったコンビニの駐車場でドリンクボトルの詰め替え作業やってる最中に強烈な目眩。これ以上外にいたら冗談抜きにしてホントに死ぬって思った。
コンビニでイスを貸してもらい、店内のエアコン直下でクールダウン。ロックアイスを買って首筋や脇の下を冷やしまくる。もうどう頑張っても28キロ走れる気がしないし、命賭ける局面でもねえよな、ということでコンビニの店員さんにタクシー呼んでもらってリタイア。
救急車呼ばれそうな雰囲気あったので、タクシー先行入力した感じっすね。
ちなみにトータル走行距離は610キロでした。
1泊2日での日本海往復はまだ無理、が今回の結論。はっきりと、ごまかしのない形で自分の限界を知ることができて大収穫です。あと「ぶっ倒れるまで自転車乗りたい!」という願いが叶えられたのもポイントだなあ。
日本海往復は今後しっかりと修行を積み、装備関係も見直して再度チャレンジしたいと思います。
以上です。